カバー遺跡

カバー (マヤ遺跡)

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カバー(Kabah)は、メキシコユカタン州にある古代マヤの遺跡で、ウシュマルなどと並んでプウク式の建造物で知られる。

遺跡

コズ・ポープ

コズ・ポープのチャクの仮面

コズ・ポープの裏側

カバーとは「強い手」を意味する[1]

形成期中期(紀元前600-300年)から定住が始まったが、政治・経済の上で重要な都市になったのは古典期終末期(800-1000年)である[1]

プウク地域の他の都市と同様、11世紀はじめに放棄された[1]

遺跡の中心部は東西に3つの建造物グループに分けられ、中央に祭祀センター、東と西に支配者層の住む宮殿があった。しかし東のグループ以外はほとんど調査・復元されていない。中央グループの神殿ピラミッドは20メートルを越えるカバー最大の建造物だが、未発掘である[2]

東のグループはよく復元されており、プウク式の建造物を見ることができる。とくに250個ものチャク神の仮面で覆われたファサードを持つ宮殿コズ・ポープはカバーでもっとも有名な建造物である[2]。西のグループには赤い手の壁画が発見された建造物がある。コズ・ポープの裏手と赤い手の建物の側柱には9世紀の日付を持つ碑文をともなった彫刻が残る[2]

カバーから北西のウシュマルまで、約20キロメートルに渡る長い堤道(サクベ)が走り、終点にはアーチが建てられた。

調査

カバーは1843年にジョン・ロイド・スティーヴンズフレデリック・キャザーウッドによってはじめて報告された。その後、デジレ・シャルネ英語版)やテオベルト・マーラーが訪れている。

1990年代にラモン・カラスコ率いるメキシコ国立考古学歴史研究所(INAH)が発掘を行った[2]

21世紀にはいってからはINAHのロールデス・トスカノ・エルナンデスらによる調査が行われており、この調査によって王室の台所の跡が発見された[3]。調査によりここでニシュタマリゼーションが行われていたこと、かまどが存在したことが判明した。またメタテなどの石器や多数の土器も発見された[4]

チャク

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カバー遺跡のコズ・ポープ外壁のチャクの顔

ウシュマル遺跡、神殿の角部分にはめ込まれたチャクの顔

チャクまたはチャック[1][2](Chac[1][2]、Chaac、Chaak)は、マヤ神話において雨と雷を司るである[1][2]水も司るため農業の守り神ともされた[3]

信仰

チャクは原古典期の昔から現代に至る長い間、人々の信仰を集めていた[4]。図像に描かれるチャクの姿は時代によって変化しており、最終的には象のように長い鼻[1]で一対の大牙をもち、涙を流す神として表される[要出典]。また、古典期後古典期には石斧などの輝く武器を携えた姿で描かれたり、炎を伴って描かれたりしており、これらはチャクの稲妻を象徴するものと考えられている[3]

一柱のチャクは四つのチャクに分かれているとも考えられている。北のチャク(白の人)、南のチャク(黄の人)、東のチャク(赤の人)、西のチャク(黒の人)、である。

アステカ神話トラロックサポテカ神話コシーホ英語版)(コシーヨ[5]とも)としばしば同一視される[1]