国立人類学博物館

https://www.mna.inah.gob.mx

Museo Nacional de Antropología

 

翻訳サイト   写真が素晴らしい!!

ご覧ください!!

https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=auto&tl=ja&u=https%3A%2F%2Fwww.mna.inah.gob.mx%2F

日本語の公式HPが見つからなかったので、

いくつかのサイトから、引用させていただきます。


ここより引用

https://search-ethnic.com/arena-mexico

第10室 マヤ

「マヤ文明(Maya)」は、ユカタン半島などメキシコ南東部、グアテマラ、ホンジュラス、ベリーズなどの地域に紀元前3000年〜16世紀頃まで栄えた文明のこと。

「マヤ文明」では、統一国家は存在せずに都市国家が共存し、メキシコおよび中米4カ国に約70の都市があったと推測されています。

最盛期は8世紀で、ユカタン半島の遺跡「チチェン・イツァー(Chichén Itzá)」「パレンケ(Palenque)」「ウシュマル(Uxmal)」、グアテマラの「ティカル(Tikal)」、ホンジュラスの「コパン(Copán)」など、多くの遺跡が残されています。

国立人類学博物館【メキシコ】

マヤ文字が書かれた石碑

上の写真は、「マヤ文字」が書かれた石碑です。

「マヤ文字」は、マヤ文明で使われていた文字で、石碑の彫刻や壁画、土器や絵文書などに記載されています。

文字は、動物の頭を模ったものや幾何学的なものがあって、その数はなんと4万種!

表音文字と表意文字があり、日本語の漢字とひらがな、漢字のふりがなのようにひとつの単語に表音・表意の2つの表記をすることができます。

文書は、左から右、上から下へと読まれ、こうした法則はソビエトの研究者「ユーリー・B・クノーロゾフ」によって1952年に発表されました。

数字は、点と線、および0を表す図形で表現され、数字体系は20進法であったことがわかっています。

石碑には、主にマヤの歴史が書かれているのだとのこと。

国立人類学博物館【メキシコ】

巨大な神殿のレプリカ

国立人類学博物館【メキシコ】

マヤの石碑

Wikipediaの記述によると、

チチェン=イッツアの遺跡内のチャクモールの目には翡翠が埋め込まれているが、その翡翠はどう言うわけか中国産の物である事も確認されており、古代史の謎の一つとなっている。

とのこと。

「チチェン・イツァー」が築かれたのは10世紀ごろ。スペイン人エルナン・コルテスがメキシコを”発見”したのが1519年。

旧大陸の、しかも中国の翡翠がマヤの遺跡にあるのは、ほんと謎。

国立人類学博物館【メキシコ】

建物の外にあるホチョブの神殿復元

博物館の建物の外には、復元された「ホチョブ遺跡(Hochob)」の神殿がありました★

「ホチョブ遺跡」は、ユカタン半島の付け根部分、カンペチェ州にあるマヤ遺跡です。

国立人類学博物館【メキシコ】

パレンケの王パカル王の翡翠の仮面

国立人類学博物館【メキシコ】

復元された王の墓室

こちらは、第10室マヤの目玉、パレンケにある「碑文の神殿」から発見された「パカル王の翡翠の仮面」と復元された墓室です。

「パレンケ(Palenque)」は、メキシコ南東部チアパス州にあるマヤ文明の都市遺跡。

7世紀に最盛期を迎え、密林の中に多数の神殿が配置されています。

1952年、メキシコの考古学者「アルベルト・ルス」が、パレンケで最も高いピラミッド「碑文の神殿」の地下室の奥に墓室を発見。

墓室には石棺があり、5.5トンもある石版を外したところ、数多くの装飾品に囲まれ、翡翠の仮面を被った遺体が眠っていました。

これが、615年に12歳で王位を継承し68年間もの長い間パレンケを統治し、パレンケを大いに発展させた王「パカル王」です。


◆「国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropologia)」

  • 住所:Av Paseo de la Reforma & Calzada Gandhi S/N, Chapultepec Polanco, Miguel Hidalgo, 11560 Ciudad de México, D.F., メキシコ
  • アクセス:メトロ7号線の「アウディトリオ(Auditorio)」駅から歩いて5分ほど
  • 営業時間:9時00分~19時00分(月曜定休)
  • 料金:65ペソ
国立人類学博物館

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世界遺産ハンター.com

世界遺産の写真をハントするゆる〜い冒険家族

より引用

https://世界遺産ハンター.com/mexico/museo05/

マヤ文明 | メキシコ国立人類学博物館

公開日: 2016/09/13  メキシコ  マヤ遺跡 メキシコ国立人類学博物館  

マヤ文明 | メキシコ国立人類学博物館

小学生の頃、ミステリー本を読みあさっていた俺の一番好きな文明は何と言っても古代マヤ文明。謎に満ちた超古代文明の香りが残るこの文明に魅了されていた。そんなマヤ文明のお宝が飾ってある部屋がこのメキシコ国立人類学博物館にある。

マヤ文明

紀元前3000年〜16世紀頃まで、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルなどで栄えた文明で、最盛期は3世紀頃〜12世紀ごろと言われ、13世紀頃から主に現在のメキシコでアステカ文明が台頭してくる。

マヤ文明 | メキシコ国立人類学博物館

時代は主に大きく分けて三つの時代に別れており、オルメク文明などが栄えていた先古典期(前1800~後250年)、マヤ文明の最盛期と言われる古典期(250~900/1000年)、衰退が始まり、トルテカ文明やアステカ文明と関わりが出てくる後古典期(900/1000~16世紀前半)。ただ、最近の研究では紀元前400年頃から既に大規模な都市が存在していた事が明らかになってきているので今後、この区分は変わって行くだろうと言われている。

貴重なマヤの書物。16世紀、スペインがこの地を征服した後に徹底的にアステカ文明やマヤ文明を破壊し、アステカ人やマヤ人をカトリックに改宗させようとした。その先頭に立ったのが悪名高きカトリックの修道士ディエゴ・デ・ランダ、彼はマヤの書物などを禁書として燃やし尽くした。なんと破壊を免れ後世に残った書物はたったの4冊だと言われている。この本はその内のひとつ、マドリー・コデックス(絵文書)の複製。本物はマドリーの博物館にあるそうだ。

カバー遺跡の雨神チャック神

カバー遺跡の雨神チャック神