パレンケ

 1952年6月15日にメキシコ、チアパス州のパレンケで、

謎に満ちたパカル・ヴォタン王の墓が発見されました。

パカル・ヴォタンの教えは、

地中に深く隠され、

ある時期に、発見されるように仕組まれた教えだったのです。

1260年前に仕組まれたマヤの預言が、この時から伝わることになるのです。

マヤの謎には、来るべき千年紀における

人類の命運にかかわる法則の手がかりが隠されていました。

だから、マヤの預言なのです。

パカル・ヴォタン王 

銀河系マヤ、パカル・ヴォタンが伝えたことは、

地球人が、マヤの知識の体系を学び、それを応用して

「新しい太陽の時代」の夜明けを迎えるために、

心と意識を研ぎすますことを、完全に意図していました。

マヤの預言は2013年以降の、

人類の意識の進化と、進化した人々の状態について、

明るいヴィジョンに満ちた展望を与えてくれます。

ただ、人類が、このチャンスを掴むには、

その準備を始めることが必要なのです。

そして、考古学者が読み解けなかった

マヤの叡智を読み解くことが必要でした。


それを読み解いたのが

ホゼ・アグエイアス博士でした。


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マヤの叡智の常識    第13章から
  • 「マヤの叡智」を超えて

パレンケへの旅立ち  

2005年3月2日、白い惑星の鏡の日  

2004年のホゼの来日の最後の日に、メディアの取材と3人の国会議員との会談をした後、ホゼの日本人に込める「思い」を感じたときに、この来日の意味を成就するために直観的に感じたビジョンが「新しい時間に、日本人が旅立つ」象徴的な意味を込めて、ホゼと日本人がパレンケに旅立つということでした。

ホゼにこのことを伝えると、深いところで動かすものがあったのが明らかで、ステファニーと二人、鳥肌を立てて何かを感じた様子でした。

ホゼの方で、その大きな意味を込めてパレンケに日本人と共に旅立つ日を、決めるということになりました。

これが、2005年銀河の月、パレンケへのツアーが生まれ、白い惑星の鏡の日に向けてこの時に旅立つようになったいきさつです。

ホゼ・アグエイアス博士より、皆さんへのメッセージ

3月2日は、白い惑星の鏡の日。パカル・ヴォタンの墓が開かれてから銀河の周期(ツオルキンと呼ばれるマヤの神聖暦)で52回目の記念日から、最初の銀河の周期の日にあたります。この日にパレンケにいることはとても特別なことです。パカル・ヴォタンがその墓をこの私たちの時代に、預言となるよう設計した日であり、パカル・ヴォタンの波動とエネルギーに私たちは合わせることができる特別な日なのです。

日本からここへ来ている人々とっては、この特別な機会は、すべての日本人のためにこの預言を伝える役割を与えることになるでしょう。この預言の意味は、私たちは2012年に向かっていて、

2012年に宇宙的な平和に到達するために、私たちの心と社会を変化させることを急がなくてはならないということです。

パレンケでの私、(ホゼであり、周期を閉じる者としてのヴォタン)の話は、パカル・ヴォタンの預言の意味について、特に新しい考古学の情報について焦点をあてることになるでしょう。

この情報はパカル・ヴォタンが本当に超自然的な存在であることを示しており、それによって、私たち自身に起こる超自然的な体験に対して、私たちはどのように準備をしておくことができるか、ということを理解するためのものです。この情報について学ぶために、私たちすべてが一緒にいられるということはこれ以上に、幸先の良い預言的な時間はないかもしれません。

すべては私たちがパレンケで会ったときにわかることです。

日本からのすべてのKINにお逢いできることを楽しみにしています!!

パレンケ前日 銀河の月の22

パレンケに行く前に、パカル・ヴォタンに、周波数を合わせる目的で、

メキシコシティーの人類学博物館のマヤの部屋に行く。

パレンケの十字の神殿のパカル・ヴォタンの絵に出会う。

また、地下には、パレンケの碑銘の神殿の

パカル・ヴォタンの墓をテーマに、翡翠の仮面に、

埋葬されたパカル・ヴォタンの様子が再現されていた。

左手に玉、右手にキューブの翡翠をもって、埋葬されていた。

この球と立方体の意味が気になり、ガイドに聞くがその意味がわからなかったのだが、

パレンケでホゼが、彼のほうから説明してくれる。

翡翠の玉は、唯一絶対の真実を表し、また左手は古代を表す。

また、左側は存在する最高の叡智を顕わす。

翡翠の立方体は完成された人の叡智を表わす。

右手は物理的、数学的真実を表わし、左側は創造を表わす。

左手の翡翠の球と右手の立方体は、宇宙論のためのものである。

ホゼと再会   銀河の月の23

テレクトノンで、ボロン・イクが、パカル・ヴォタンと再会する日、

恋人たちの再会の日に、

プラザ・パレンケというホテルで、ホゼとステファニーに再会する。

3月1日。その日は著者の地球の誕生日でした。

パカル・ヴォタンの74回目の260日周期の日

銀河の月の24日 白い惑星の鏡の日

この日、テレクトノンでは、天上歩行1日目

そして、パレンケの遺跡に。ホゼの解説の元、遺跡を廻る。

キューバ人の考古学者アルベルト・ルースの墓
奇跡的に入いる許可が出た「碑銘の神殿」の上で

52年前からのパカル・ヴォタンの墓守のような存在の重鎮ドン・モイセス・モラレスが、

パカル・ヴォタンの墓に入る許可をとってくれた。

許可を取った本人が、許可が下りたことを奇跡だと語っていた。

夕方、5時前に、パレンケの遺跡に再びやってきて、

すべての観光客が遺跡から出た後、

午後5時に、ホゼと一緒に、遺跡に入る。

再び、碑銘の神殿にやってくる。

碑銘の神殿の裏側に回り、

ピラミッドを登り、8段目の上で、ピラミッドの正面にまわる。

9段目にあたる、ピラミッドの入り口から、ホゼと一緒に中に入る。

急な階段を下りていく。階段の向きが変わると、さらに階段は急になり、

横向きになり、片手を階段につきながら、湿気で濡れている

石灰岩の階段をピラミッドの底まで、考古学者が辿った通話管を意識しながら降りる。

1997年に、ホゼが我が家に来て、カレンダーを普及するにはどうすればいいか?

という問いに、普通の人がダイアリーとして使い、使っているうちに、

自然に28日周期が身につくダイアリーを。

しかも、表紙はパカル・ヴォタンの墓の絵。

と言ったときのことを思い出す。

1949年、地球霊の通話管を発見したアルベルト・ルースは、

この通話管に沿って通路があるのを発見し、その埋められた土砂を取り除きながら

3年間かけて27m堀り進んで、ピラミッドの基部に位置する地下墓室に1952年に達して、

パカルヴォタンの墓を発見した。

その墓を開いたのが1952年6月15日、白い惑星の鏡の日。

それから、52年たって、最初の260日目、墓が開かれたその日から

74回目の260日周期が、今日、2005年3月2日、白い惑星の鏡の日。

パカル・ヴォタンの墓碑である石棺の蓋は、長さ3・8m幅2・2m、

厚さ25センチの一枚岩で作られている。

石棺の蓋の絵。その石棺の大きさゆえに、この石室から、外に出ることが不可能な蓋。

そして、紋章。そこにある空気に触れる。

いきなり、パカル・ヴォタンの波動に触れてみた。

ホゼがいうところの、

「パカル・ヴォタンがその墓をこの私たちの時代に、預言となるよう設計した日であり、

パカル・ヴォタンの波動とエネルギーに私たちは合わせることができる特別な日」に、

パカル・ヴォタンに周波数を合わせる以外に、するべきことがあるだろうか?

奇跡的に、その墓に入ることができたのにもかかわらず、

そこに入ることが予定されていたかのように、パカル・ヴォタンの墓に入り、

そこのエネルギーに周波数を合わせるという、今回の旅の目的を達成させるべき体感が、

心と体を震わせる。

パカル・ヴォタンの石室での

ホゼのレクチャーが、ひとつの波打つ呼吸となって、リズムとして感じる。

階段の肌触り、壁の肌触り、地下とピラミッドの空気の通話管のなかで、

「真の秩序と自然のすべてとの調和へと回帰するための共通の回路」といったことを探りながら、

地下と外の声に、促され外に出る。

ホゼに、地球の虹の橋の瞑想をしたいと伝える。

しばらく、考えて、ホゼがうなづく。

全員がピラミッドの石段に座り、パレンケの夕暮れの光と

風を感じながら、ホゼの誘導で、虹の橋の瞑想を行う。

アース・スピリット・スピーキング・チューブ、地球霊の通話管に触れた後、

地球とひとつになる瞑想を行う。

692年、10バクトゥーンのマヤ、パカル・ヴォタンに周波数を合わせる。

21人の日本人が、その中心にいる。

地球霊の通話管のことは、コズミック・ダイアリー・セミナーで、

13の月の暦に親しんだ人なら、テレクトノンとして、

耳慣れた言葉かも知れないが、

ホゼの誘導で、虹の橋の瞑想を行う。


 

サイモン・マーティンとニコライ・グルーベが書いた「古代マヤ王歴代誌」

おもしろい記述と、考古学的な通話管への考察が垣間見れるのご紹介したいと思います。

「ハナ―ブ・パカル1世の葬儀はこの神殿の建設中、もしくは建設後でも行えたし、また、古典期マヤでは一般的に行われていた再埋葬もできた。再埋葬は肉の落ちた骨を形を整えて並べ、多くの顔料をふりかけた。同じように、墓室へと続く階段は葬列の行列がとおることを考えて設計されている。途中にあるピラミッドの西側へ抜けるトンネル(階段の通気孔)は、墓室に埋葬された王との交信のためにつくられたらしい。階段が閉ざされたあとも、この通気孔によって死せる王との交流は維持されたのだ。この孔は外の世界と閉ざされた墓室とを結ぶ「魂の通路」で、これを伝わって魂が階段をのぼり、外に出ることができると考えられたのである。」

宮殿のなかのパカル・ヴォタンが、話をし、瞑想をしただろうと、

前日にホゼが話していた、台のある場所に13人が集まり、

そこで、再び、虹の橋の瞑想を行う。

「ここ、1973年パレンケで行われたマヤ学会大会の最終日の午後、大半がマヤ遺跡の見学に行き、残ったアラバマ州の画家リンダ・シール、カルガリー大学の学生ピーター・マシューズ、エール大学の人類学教授フロイド・ローズベリー、この3人が支配者を表わす文字と、事件を表わす文字を結びつけ、午後4時までに、612年から783年にわたるパレンケの王の誕生と退位の日付を確定して、大会会場の壁に張り出し、夕食のときに説明し、大喝采を受けた。これが、古代マヤが再び語りだしたといわれる瞬間である。『マヤ 神秘を開く旅』の記述である」

考古学者ではない、日本人21名の旅であるが、本当のマヤの神秘を開き、

心の深いところから、新しい時間の旅に、日本人が、そして、地球人が

再び旅立てるように何かを伝えていくことが、この旅から生み出されることを感じる。

3次元の科学の発見でなく、5次元の時間に向けての

コミュニケーションが始まることを願う。

今回、パレンケに着いて、ホゼ・アグエイアスから、

パカル・ヴォタンの墓に入ることができることになった。

これは、この日本人が新しい時間に旅立つこのツアーに特別な意味がある、と・・・

パカルヴォタンの石棺の蓋の絵は、読まれることを意図した、マヤの聖なる預言の書である。

キューバ人のアルベルト・ルース、宗教的なことを重要視しない社会主義者であっても、

墓に入った時に、692年、第10バクトーンの頃の、墓を閉じた頃の息吹を感じたという。

その日から、260日周期で、74回目の日。

パカルヴォタンの意志に、周波数が合う日として、ホゼが選んだ日。

生きたテレクトノン。

どうして、テレクトノンと同期したのか、

どうして、パカル・ヴォタンの墓に入れたのか、

埋蔵経としての意味を、

発見されることのないように、

本当に発見されないように仕組まれた墓が、

墓があるという情報などまったくないなか、3年も土砂を掘り起こし、

奇跡的に、1260年後の1952年に発見されたのは、・・・どうしてか

それを感じるために、導かれたことなど。

この旅の参加者が、

4次元、5次元の時間を感じ、

そして、そこから、日本人が新しい時間に旅立つための、

特別のイニシエーションを受けた旅だったと思います。

一人から、種が蒔かれ、宇宙に響いていくのです。

人が、宇宙を変えるのです。

日本人として、どう

自然と調和した穏やかな世界を生み出すかを伝えていただきたいと思います。

12時に、碑銘の神殿前で、柳瀬のレクチャー

朝、久しぶりのパレンケ。
碑銘の神殿のピラミッドや、宮殿の中をたどる。

前日のレクチャーからの
0.0.フナブ・クの特別な日にする、イニシエーションを繰り返し、
それぞれが、パレンケで、古代マヤに意識を合わせ、
パカル・ヴォタンの墓のある、碑銘の神殿の隣の
レッドクイーンの神殿で、すべてを受け渡すための瞑想。

12時に、碑銘の神殿前で、柳瀬のレクチャー
写真は、7つの方向への祈りの後、

パカル・ヴォタンの碑銘の神殿の前で、
パカルの意志と、
マヤの預言の2つの時間
自然時間を取り戻し、環境問題を解き放つ生き方へのナビゲートと
最先端の科学を先取りしていた、高次元の時間にアクセスして、
進化に向けてナビゲートされている
パカル・ヴォタンが、開示したマヤの預言の意味。

まさしく、パカルの墓が閉ざされて
1360年後の2012年の、フナブ・クに、パレンケで

フナブ・クのエネルギーを伝達していく儀式を行う。

銀河のフナブ・クの第5の力を授けられたパカル・ヴォタンと、それを伝えたホゼ・アグエイアス、そして、柳瀬宏秀は、
授かった神聖なるこの力を
精神圏の中にある、意識あるすべての生物のためになるように、
地球のすべての人に譲り渡します。

銀河の第5の力を授けられた私たちは、
授かった神聖なるこの力を精神圏のためになるように、意識あるすべての生物に捧げます。

ウィーアーオール、フナブ・ク、エヴァマヤエマホ

 

 

 


 


2012年 0.0. フナブ・ク の日に、

0.0. フナブ・ク の日に、
パカル・ヴォタンの預言を伝える。

奇跡的に、パカル・ヴォタンの墓に入ることになる。
7年ぶりに、墓の中で、パカルと交流する。

7年前に、一緒に入ったホゼが、紹介した前回のパレンケのDVDで、
いかに奇跡的に、入れたか、
そして、その意味を、
マヤの預言と、日本の意味を考えたいと、語っていた。
その奇跡が、また、起こった。

ホゼの最後のメッセージとして、
弟子のステファニーが昨年、世界に送ったメッセージのなかの文章で、こう語っていた。



ホゼの死は、パレンケでのパカル・ヴォタンの最後の埋葬と関係する
シンクロとして見ることができます。
彼の72歳の誕生日(2011年1月24日)の頃、
パレンケのパカル・ヴォタンの墓の蓋が永遠に閉じられました。
比類のない芸術性と象徴性を持つパカル・ヴォタンの墓、
そしてそこに埋められた人の魂の神秘は、
ホゼの人生の目的に大きな影響を与えました。
ヴォタンの墓に記号化されたメッセージの意味は、
知識と悟りに向けてホゼの人生を形作りました。
彼の旅立ちもまた、数字的にパカルと絡んでいます。

ホゼは、72回目の誕生日から58日後に地球を旅立ちました。
(ステファニー・サウス著   「時間、シンクロニシティ、改暦
:ホゼ・アグエイアスの預言的人生と仕事」)
拙著『「マヤの叡智」の常識』第3章より


したがって、今回の旅で、パカルの墓に入るという三次元的な奇跡は、
封印していた。
ふとしたきっかけで、墓に入ることを口にしてしまうことになり、
その表明が、成就する。


有識者のなかでもっとも優れていたのは偉大なる時間の旅行者、パカル・ヴォタン。
異次元から地上に降り立った彼は、偉大な地ケム(訳注:エジプトの古名)の建設者たちの間で知られていた知識パターンに従って、巨大な宮殿を建てさせた。
宮殿の向かい側には知識の神殿を建て、それを自らの墓とします。
そして、旅立ちの時と帰還の時の預言と宣言をこの墓に残したのです。

という正確な、パカルの意味を
正午に、0.0.フナブ・クの儀式に語った。
その後、
パカル・ヴォタンの墓に、特別に入れることになる。

夜9時、パレンケの遺跡に入る。
星が美しい、金星も、パレンケの西の空に輝いている。
金星は、マヤの叡智と深くかかわる。

碑銘の神殿の正面、正午に儀式をした場所から、登る。

そして、(7年前の写真を先日、facebookで紹介した)、
そのピラミッドの9段目から、
宮殿を見下ろす。

懐かしさが、どこからのものなのか?

そして、ピラミッドの中に降りていく。
懐かしい。
そして、アルベルト・ルースが3年間、この管を頼りに掘り進んだ、
「地球霊の通話管」に触れながら、石室まで、降りる。

7年ぶりの石室。
ナチュラル・マインド・メディテーションを行い、
パカル・ヴォタンと語り合う。

ピラミッドを出ると、蛍が光を。
誰かが、ホゼ・アグエイアスかしら、と言う。

神殿の前に、だれからともなく、全員、大地の上に寝転がる。
星を、宇宙を、いや、さらに、もっと、深いものに抱かれた。
また、蛍が、碑銘の神殿の前に、ひとつ、光る。

上弦の月が、こんなにやさしく、感じられる。
そして、半月でも、その光は明るい。

娘の真愛(MAYA)が、宮殿が、宇宙に浮かんでいる。と